母の日に向けて
サザエさんも、例外なく「母の日」のエピソードを放送していた今日。
世の中はやたらに母の日ムード。お母さんって、やっぱり偉大だよなあ。
でも、常日頃、家族のことを、気にかけているかといわれると、そうでもない。
でも、こういう機会だから、ちょっと電話してみようかな、ちょっと贈り物をしてみようかな、なんて、日ごろの感謝を伝えるのもいいのだろうな。
とかいって、まだ何もしていない私。
月末に、母がこっちに遊びにくる予定だから、そのときに親孝行でも、とか考えながら、そういばサザエさんなんて、久しぶりに見たけれど、今時の日本に、木造一軒家に、3世帯が住む家なんて、そうそうないだろうな。
祖父母、父母、娘息子、孫、それぞれの立場をわきまえて、ある意味、それぞれの立場での役割をこなしている。家族といえど、家族内において、一定の秩序が保たれている。
それは、いい方は古臭いかもしれないけれど、波平のいわゆる一家の大黒柱が家族の核となって、その周りで家族が形づくられているからなのかもしれない。
今の、現代の家族は一体どうなっているか。核家族化がすすみ、ますます孤立化が進んで、2040年には2人に1人が一人世帯となってしまうような現代において、家族内ので、秩序など、成り立っているのだろうか。
サザエさんのCM中に、amazonの、これまた母の日にまつわるCM映像が流れた。
帰宅した母親に、子どもたちがサプライズで母の日のお祝いをする内容になっているが、登場人物が父母子ども達だけであるから、これもおそらく、核家族世帯の家族構成であろう。
果たして、今の家族に、それぞれがそれぞれの立場としての役割を担うルールは存在しているのか。むしろ、個が尊重されるこの時代で、もはや個の尊厳が何よりも優先されるこの時代において、それはもはや家族内においても、浸食されているのではないか。
むき出しの、個と個のぶつかり合い。
現代におけるいい家族は、よそ向きの、目で見て耳で聞いて心地よい家族。
インスタではキラキラ輝いた家族に見えても、ひとたびカメラがなくなると、意識がのこっているうちはインスタの延長で綺麗なふるまいができていても、そんなの永遠に続くわけもなく、次第に野生むき出しの、個性があらわになってくる。
自我と自我のぶつかりあい。
日進月歩で文明が進んで、超ハイテク化した現代にいるにもかかわらず、最も小さなコミュニティである家庭内は原始時代に戻りつつあるようです。